2026年9月、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』のNintendo Switch 2向けリメイクの詳細が発表された。映像は当然きれいになっている。リンクの服や草木、ハイラルの景色は、NINTENDO 64の頃とは比べものにならないほど細かい。それなのに、PVを見ていて最初に感じたのは「最新のゼルダだ」ということではなかった。
「ああ、時のオカリナだ」。
ハイラル平原へ放り出されたときの感じ、街へ入ったときのにぎわい、そして聞き覚えのあるBGM。最新のゲーム映像を見ているはずなのに、なぜか90年代へ戻されたような感覚があった。私が『時のオカリナ』を遊んだのはNINTENDO 64全盛期。最後までクリアしたかというと、記憶はかなり怪しい。ゲルドの砦あたりで挫折したような気もする(笑)。
それでも、このゲームで過ごした時間は妙に覚えている。リメイク版が出る今だからこそ、私の中に残っている『時のオカリナ』の話を少ししてみたい。
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最初のハイラル平原は、ちょっと途方に暮れた
コキリの森を出て、初めてハイラル平原へ足を踏み入れたときの印象は強い。
とにかく広い。そして、いきなり放り出された感じがあった。
今のゲームなら目的地にマーカーが付き、画面のどこかに「○○へ向かえ」と表示されることも珍しくない。でも、当時の私の感覚としては「えーっと……どこ行けばいいんだ?」である(笑)。遠くに城が見える。道が伸びている。とりあえず行ってみようと思える。そうやって歩いているうちに昼から夜になり、同じ平原なのに雰囲気まで変わっていく。
今の巨大なオープンワールドと比べれば、ハイラル平原自体はそれほど途方もなく広いわけではない。でも当時の私には、マップの大きさ以上に世界が広く感じられた。当時はオープンワールドという言葉すらなかったが、それに近い広大な世界観があった。
たぶん、隅から隅まで「何かありそう」と思っていたからだ。
そして何より、急いで進むこともなくマイペースに探検する。ハイラル平原のBGMを聴きながらウロウロしているだけでも楽しい。あのゆったりした時間こそ、今思い出す『時のオカリナ』の空気だったような気がする。
街へ行けば、本当に人が暮らしているように見えた
広い平原から城下町へ入ると、今度は一気に人が増える。話しかければ、それぞれ違ったことを言うし、妙に印象へ残る人もいる。当時の私はもちろん「NPCの生活感がリアルに描かれている」なんて分析して遊んではいない。でも、街に入ったときに「人がいるなあ、賑わってるなぁ」と感じていた記憶はある。
印象深いのはやっぱりカカリコ村だろう。あののんびりとしたBGMの中、個性豊かなNPCが街中で生活している雰囲気は妙になじみ深く、『時のオカリナ』のNPCはどれも記憶に残る。
作りこまれたNPCの象徴みたいな存在が、個人的には釣り堀のおやじだ。

普通なら釣り堀へ行って魚を釣ればいい。でも、目の前に帽子をかぶったおやじがいる。そして手には釣り竿がある。子どもなら当然、「この帽子、釣れないかな」と思う。
投げてみる。
本当に取れる。
取れるんかい、と(笑)。
ハイラルを救ううえで、おやじの帽子を取ることなんてまったくどうでもいい(笑)。しかも帽子を池に落とせば弁償させられるというリアルなアクション付き。でも、こういう余計なことにもゲームが反応してくれるだけで、目の前のキャラクターが急に人間っぽくなる。ゲームの世界に人が配置されているのではなく、そこに人が暮らしていて、自分がちょっかいを出しているように感じる。『時のオカリナ』には、そんなくだらないところまで遊びになっている場所がたくさんあった。
何か見つけると、とりあえず試したくなるゲームだった
『時のオカリナ』を遊んでいた頃、私は結構どうでもいいことを試して遊んでいたように思う。
たとえば怪しい壁がある。
「これ、爆弾で壊れるんじゃない?」
爆弾を置く。少し離れる。爆発する。
壁はそのまま。リンクだけ爆風を食らう。
あるいは、高い場所から下を見て「ここから落ちれば重さで何か動くんじゃないか」と勝手に考えて飛び降りる。普通に落下して死ぬ。
いま振り返ると、子どもの私はハイラルで何をやっていたんだと思う(笑)。でも、これが楽しかった。
新しいアイテムを手に入れると、使い道を教えられた場所だけではなく、「あそこでも使えるんじゃないか」と考える。爆弾を持てば以前見た怪しい壁を思い出すし、フックショットを手に入れれば高いところが急に気になり始める。正解することそのものより、「これじゃない?」と考えて試す時間が長かった。
今のように、分からないことをすぐネットで検索できる環境はない。身の回りの小学生は攻略本も持っておらず、本当に分からなくなると学校で友達に聞いて周り、それで会話が弾む。「あそこどうやった?」「それ○○だよ」「え、そうなの?」という、今思えば普通の会話である。中には嘘をついて適当なことを言うやつもいるからたちが悪い。
でもそれを聞いた日は、家へ帰ったら続きをやりたくなる。
当時はゲームの攻略が家の中だけで終わっていなかった。昨日どこまで進んだ、あそこはどうする、そんな話まで含めてゲームを遊んでいたんだと思う。
明るいゲームなのに、妙に不気味なものが多かった

『時のオカリナ』というと、ハイラル平原や城下町の明るい印象がある一方で、不気味な記憶もかなり残っている。カカリコ村のスタルチュラの屋敷。墓地。風車小屋のグルグル。そして妙に耳から離れない「嵐の歌」…。
昼間はあんなに穏やかだったハイラル平原も、夜になると一気に空気が変わる。
別にホラーゲームではない。でも世界のあちこちに、子ども心に「なんか嫌だな」と感じながらも、つい覗いてみたくなる場所が普通にある。子どもというのもおかしなもので、嫌なら行かなければいいのに墓場には行く(笑)。そして中へ入ったあとで「やっぱり怖いじゃん」となる。でも、あの不気味さがなかったら『時のオカリナ』はもう少し軽い世界として記憶に残っていたかもしれない。
明るい場所があって、楽しい人がいて、そのすぐ近くに妙な屋敷や墓地がある。世界のすべてが自分を歓迎してくれているわけではないから、知らない場所へ行くことにはちょっとした緊張感もあった。その「何があるか分からない感じ」も、私にとっては冒険だった。
子どもリンクの頃と、大人リンクになってからでは遊び方まで変わった

今改めて考えると、子どもリンクの頃の私は、ストーリーよりも世界そのものを楽しんでいたように思う。次はどこへ行けるのか。この先には何があるのか。手に入れたアイテムで何ができるのか。とにかく好奇心で進んでいた。
ところがマスターソードを抜き、大人リンクになると、少しずつ気になってくるものが変わった。
シークって何者なんだ。マスターソードって何なんだ。トライフォースとは何なのか。なぜ神殿を巡っているのか。そしてガノンドロフは何をしようとしているのか。それまで「世界を見てみたい」で進んでいた冒険が、だんだん「この世界で何が起きているんだろう」に変わっていった。
子どもながらに、物語が急に現実味を帯びてきたような感覚があった。
リンク自身が成長したからそう感じたのか、荒廃した世界を見たからなのか、当時の私はもちろんそんなことまで考えていない。それでも、子どもリンクと大人リンクで同じゲームを遊んでいるのに感じ方が変わったという記憶は残っている。それも『時のオカリナ』の不思議なところだった。
たぶん私は、「ゲームを進めていた」というよりハイラルで遊んでいた
こうして思い返してみると、私が『時のオカリナ』で覚えていることは、意外と「攻略した」という話ではない。
釣り堀のおやじの帽子を取ったことだったり、壊れない壁へ爆弾を置いたことだったり、夜の平原が怖かったことだったり、友達に攻略方法を聞いたことだったりする。ストーリーの細かい順番は忘れているのに、そういうどうでもいいことは残っている。
たぶん私は、『時のオカリナ』を最短ルートで進めるゲームとして遊んでいなかったのだと思う。ハイラル平原を歩いて、知らない場所へ行き、変な人に話しかけて、怪しいところを試す。その結果、自爆したり死んだりする。でもまた別の場所へ行ってみる。
ゲームを攻略していたというより、ハイラルという場所で遊んでいた。だから、最後までクリアしたかどうかすら曖昧なのに、28年経ってもこんなに記憶が残っているのかもしれない。
最新なのに、90年代へ戻されたようなリメイク
そんな記憶があるから、今回のリメイク映像を見たときに妙な感覚になった。
グラフィックはもちろん最新だ。リンクの衣装も、草木も、ハイラルの景色も細かくなっている。個人的にはリンクの造形が思った以上にエルフっぽいというか、昔のファンタジーらしい雰囲気を残しているのも良かった。でも、ハイラル平原へ出たときの感じは変わっていないように見える。街へ行けば人がいて、ゆったりとした時間が流れ、そして聞こえてくるBGMもあの頃のものだ。

『ブレス オブ ザ ワイルド』や『ティアーズ オブ ザ キングダム』ももちろんゼルダだけれど、『時のオカリナ』にはそれとはまた違った空気がある。今回の映像を見る限り、その空気まで現代のゼルダへ作り替えてしまったようには見えなかった。
2026年のゲームを見ているのに、NINTENDO 64の前に座っていた頃を思い出す。私には、最新のゲームなのに90年代へ戻されたような感覚があった。リメイクだからグラフィックがきれいになるのは当然だと思う。でも、私がもう一度見たいのは、きれいになったハイラルだけではない。

あてもなく平原を歩いてみたり、妙な人にちょっかいを出したり、「これ絶対何かあるだろ」と勝手に思い込んで無駄なことを試したりする、あの時間だ。今回のリメイクでも、またそんなふうにハイラルで遊べたらいい。28年前に遊んだゲームの続きをやるというより、昔過ごした場所へ久しぶりに帰る。今のところ、私にとって新しい『時のオカリナ』は、そんなゲームになりそうな気がしている。



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