『弟切草』って結局どんなゲームだった? 30年後にわかった『かまいたちの夜』との違い

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YouTubeで映画『弟切草』(2001年公開)が2週間の期間限定で公開されていたので、なんとなく見始めた。

『弟切草』といえば、子どもの頃にゲームをプレイした記憶がある。チュンソフトのサウンドノベルで、『かまいたちの夜』よりも前に発売された作品だ。ただ、映画を見ながら昔のゲームを思い出そうとしてみても、これが驚くほど何も出てこない。山奥の洋館があった。不気味な人形や絵があった。なんだかよくわからない怪異が次々と起きていた――。覚えているのはそのくらいで、「結局、何の話だったの?」と聞かれると答えられない。

一方、『かまいたちの夜』なら今でもかなり覚えている。雪山のペンション「シュプール」で殺人事件が起き、宿泊客の誰かが犯人かもしれない。推理や行動を間違えれば状況は悪化し、登場人物が次々に死んでいく。細かな部分は忘れていても、「シュプールで起きた殺人事件」という一本の物語として記憶に残っている。

同じチュンソフトのサウンドノベルなのに、この違いは何なのだろう。映画を見たことをきっかけに改めて『弟切草』について調べてみると、子どもの頃からなんとなく感じていた『かまいたちの夜』との違いに、今になって答えが見えてきた。

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『弟切草』は、そもそも一本の真相を追うゲームではなかった

初代『弟切草』がスーパーファミコンで発売されたのは1992年3月7日。2026年の今から振り返れば、すでに34年前のゲームになる。チュンソフトが「サウンドノベル」と名付けたシリーズの第1作で、画面に表示された文章を読み、途中に現れる選択肢を選ぶことで物語が変化していく。当時としてはかなり新しいゲームだった。

ただし、その分岐は現在のノベルゲームでよく見られる「Aを選んだからAルートへ進む」といった分かりやすいものとは少し違う。後年の開発者たちの証言を読むと、『弟切草』は複数の物語を選択肢によって行ったり来たりするような構造になっていた。正しい選択を積み重ねれば最後に唯一の真相が明らかになる、というゲームではない。

『かまいたちの夜』の場合、少なくとも中心となるミステリー編には「誰が犯人なのか」「なぜ殺人が起きたのか」という明確な謎がある。プレイヤーは物語を読みながら事件を推理し、正解へ近づいていく。だから何十年経っても、一本の事件として思い出せる。

ところが『弟切草』では、同じ洋館、同じ登場人物から始まりながら、選択によって見えてくる物語そのものが変わっていく。振り返ってみれば、自分の記憶に残っているのも「双子がいたような気がする」「ミイラみたいなものも出てきたような……」といった断片ばかりだ。複数のプレイで見た出来事が、何十年も経つうちに頭の中で完全に混ざってしまったのだろう。

つまり、自分がストーリーを忘れてしまったというより、そもそも一本の事件として記憶しにくいゲームだったのだと思う。そう考えると、「昔かなり遊んだはずなのに、何の話だったのか覚えていない」という妙な感覚にも納得がいった。

我孫子武丸も『弟切草』の「あみだくじ」が気になっていた

今回調べていて一番興味深かったのが、『かまいたちの夜』のシナリオを担当したミステリー作家・我孫子武丸氏の話だった。

我孫子氏は『かまいたちの夜』を作る以前から『弟切草』をプレイしており、後年、開発者の麻野一哉との対談で『弟切草』には「ちょっとした不満」があったと話している。複数のシナリオが「あみだくじ状態」でつながっていて、どの選択によってなぜその結果になったのか、プレイヤー側から論理的に判断しづらかったという。

そこで『かまいたちの夜』では、「こちらへ行ったら危なそうだ」とプレイヤー自身が考え、自分の意思で選択できるようなゲームにしたかった。つまり、選択とその結果の因果関係を、よりプレイヤーが意識できる作りへ変えようとしたわけだ。この話を読んだとき、子どもの頃に自分が『かまいたちの夜』の方をずっと怖いと感じていた理由が、少しわかった気がした。

『かまいたちの夜』が怖かったのは、最初からずっと恐ろしいわけではなかったことも大きいと思う。序盤は雪山のペンションを訪れた若者たちの、どこかのんびりした旅行の雰囲気がある。ところが、あの「こんや、12じ、だれかがしぬ」というメッセージが現れたところから、空気が一気に変わる。それまで普通に話していた宿泊客たちの中に殺人犯がいるのかもしれない。しかも吹雪で外には逃げられない。

そこからは、自分の判断の結果として状況が悪化していく。まだ犯人がわからない段階で誰かを疑い、行動を間違え、気がつけばまた誰かが死んでいる。相手は幽霊でも怪物でもなく、さっきまで同じ部屋で普通に話していた人間かもしれない。その現実味が、子どもの自分にはかなり怖かったのだと思う。

ペンションの楽しい雰囲気が、ここから一変していく『かまいたちの夜』の名シーン。

対して『弟切草』は、山奥の洋館に入った時点からもう怪しい。不気味な人形、肖像画、血、妙な物音、怪異といった、いかにもホラーらしいものが次々と出てくる。もちろん当時は怖かったのだが、どこか「さあ怖がってください」という演出の存在も感じていたように思う。

『かまいたちの夜』は、自分で考えているうちに怖くなる。『弟切草』は、向こうから怖いものを見せてくる。子どもの頃はそんなふうに言語化できなかったけれど、自分にとってはこの違いがかなり大きかったのだろう。そして面白いことに、その違いは『弟切草』を遊んだ我孫子氏自身が次作を作る際に意識したポイントでもあった。

本気で「怖くてボタンを押せないゲーム」を目指した『弟切草』

もっとも、『弟切草』から感じた「怖くしてやろう」という雰囲気は、作品としてはむしろ狙い通りだったようだ。

チュンソフトの創業者兼ゲームクリエイターである中村光一氏は後年、『弟切草』について、ゲームが苦手な人でも遊べるものを作りたかったと振り返っている。キャラクターを複雑に操作する必要はなく、基本的には文章を読み、選択肢を選ぶだけ。それでもゲームとして成立するものを目指した。

さらにスーパーファミコンでは音の表現力も向上していた。雷鳴やガラスが割れる音を使い、暗い洋館で文章を読んでいるプレイヤーを驚かせる。そうして「怖くて次のボタンを押せない」と感じさせる体験を作ろうとしていたという。

そう考えると、『弟切草』はある意味でゲーム機を使ったお化け屋敷だったのかもしれない。文章を読むだけなら本でもできる。そこへ突然鳴る音や背景画像、プレイヤー自身がページを進める操作を加えることで、「次を見るのが怖い」という感覚をゲームにした。

しかも、現在では『弟切草』の象徴ともいえる薄暗い洋館などの背景グラフィックは、開発当初から存在していたわけではない。当初はもっと文字と音を中心にした作品として考えられており、途中から背景画像が加えられたという。

今ではサウンドノベルという形式そのものに慣れてしまったが、1992年当時に「文章を読みながら音と絵で怖がらせるゲーム」を家庭用ゲーム機で成立させようとしたことを考えると、かなり実験的な作品だったのだと思う。

洋館を探索すると怪奇な出来事や、いかにも怖さを演出する描写が出てくる。

『弟切草』という日本的な名前なのに、中身は西洋の洋館ホラー

昔からもうひとつ不思議だったのが、タイトルと世界観の組み合わせだ。

「弟切草」という字面だけを見ると、いかにも日本の怪談に出てきそうな名前なのに、ゲームで印象に残っているのは山奥の洋館、人形、絵画、古びた家具といった西洋ゴシックホラー的なものばかり。自分には、日本の怪談を見ているというより、ヨーロッパ風のお化け屋敷へ迷い込んだような印象の方が強かった。

これも制作過程を調べてみると納得できる。開発に携わった麻野一哉氏によれば、『弟切草』というタイトルが決まる以前、作品には『館物語』という仮タイトルが付けられていた。つまり、先に「山中の館を舞台にしたホラー」という発想があり、そこへ後から『弟切草』というモチーフが加わったわけだ。

オトギリソウ(弟切草)自体は実在する植物で、その名には、鷹の傷薬として使う秘伝の薬草を弟が他人に漏らし、怒った兄が弟を斬ったという伝承が残されている。麻野氏は制作中に書店でこの植物を知り、そこで目にした「復讐」というイメージとともに作品へ取り入れたと振り返っている。

もし『館物語』のまま発売されていたら、ここまで強烈な印象を残すタイトルにはならなかっただろう。西洋風の洋館ホラーに、日本の血なまぐさい植物伝承を組み合わせる。少しちぐはぐにも見えるけれど、その妙な混ざり方まで含めて『弟切草』なのだと思う。

映画版も、普通のホラー映画を作るつもりではなかった

そして今回、ゲームを振り返るきっかけになった奥菜恵氏主演の2001年の映画『弟切草』。

映画については、正直なところかなり好みが分かれると思う。自分は洋館を探索する中盤があまり怖くなかった。館を調べることで謎が一つずつ解き明かされていくわけでもなく、奈美と一緒に洋館に入った公平は妙にヘラヘラしていて緊張感を削いでくる。「お前、もうちょっと怖がれよ」と思いながら見ていた。

終盤になると、奈美や直美、父親の関係が一気につながり、さらにゲームらしい複数のエンディングを思わせる構造が見えてくる。個人的には「最後の15分くらいがこの映画のすべてだ」というのが率直な感想だ。

ただし、下山天監督の後年のインタビューを読むと、この少し変わった映画にも明確な狙いがあったことがわかる。ゲームを映画化する以上、大勢の観客が映画館にいても、テレビゲームを一人で遊んでいるときのような「1対1の恐怖」を感じられる作品にしたかったという。映像にも当時のデジタル技術を積極的に取り入れ、一般的なホラー映画とは違うものを作ろうとしていた。

そう考えれば、妙にゲームを意識した映像や、終盤のメタ的な構造にも理由はあったのだろう。制作意図を知ると作品を見る目は少し変わる。ただ、それを理解したからといって、中盤の洋館探索まで急に面白く感じるかというと、それはまた別の話だ。ゲーム版も映画版も、良くも悪くも「普通に作ろう」としていない。その実験精神には、『弟切草』という作品らしさがあるのかもしれない。

内容を覚えていない。でも、それこそ『弟切草』らしかった

今回改めて振り返ってみても、自分が好きなのはやはり『かまいたちの夜』だ。子どもの頃に感じた怖さも、一本の物語としての面白さも、『かまいたちの夜』の方が強く記憶に残っている。ただ、『弟切草』に対する見方は少し変わった。

『弟切草』があったからこそ、家庭用ゲームで「文章を読む」という遊び方が一つの形になった。そして、その『弟切草』を遊んだユーザーから次はミステリーを求める声が上がり、自分ならこうしたいと考えていた我孫子氏が参加して、『かまいたちの夜』へつながっていく。

今から両作品を比べれば、『かまいたちの夜』の方が物語としてまとまっていると感じるのは当然なのかもしれない。『弟切草』が試したさまざまなアイデアを土台に、その次の作品がさらに洗練されていったのだから。

だから「『かまいたちの夜』の方が面白かった」で終わらせるのは少しもったいない。『弟切草』は、まだ「サウンドノベルとは何なのか」という正解すら存在しない時代に、新しい遊び方そのものを作ろうとした作品だった。

YouTubeで映画を見ながら「そういえば、このゲームって結局何の話だったんだ?」と思ったところから始まった今回の振り返り。調べてみた結果、一本のストーリーとして内容を覚えていないこと自体が、意外と『弟切草』らしい記憶だったのかもしれないというところに行き着いた。

そう考えると、今度は映画ではなく、久しぶりにゲーム版の『弟切草』を遊んでみたくなってきた。